朝。
部屋の戸を開けてリビングに出ると、ベランダのドアが空いていた。
庭にはすでに光が当たっていた。いい天気のようだ。
同居人がベランダにいた。私はドアの側までいって半分くらい顔を出した。
「おはよう」
「おはよう」
思った通り、よく晴れていた。
ー
30分ほどそれぞれの時間を経過し、その後同居人はリビングで化粧をはじめた。
私は家政婦みたいな掃除用のワンピースに着替え、軽いコスプレ気分を味わいながら(シンデレラと言ったら誰か私を抹殺しますか?)、キッチンにいって溜まった食器を洗い、米をといで鍋で炊きながらコーヒー用のお湯を湧かした。
社長が金曜日にスタバにいくと貰うドリップ用の豆をよくもらっているのだ。
その間、同居人はずっとリビングのソファで化粧をつづけていた。
「あ、そういえば明日の時間、連絡しておいたよ」と私は言った。明日は複数の友達と久しぶりに会う約束がある。
「あ、ほんとに!?ありがとう」と彼女は一瞬こちらを向いた後、鏡の自分を見ながら言う(直接見てないけど動きでだいたいわかる)。
明日の集まりは夜の予定だが、急に同居人が明日の夜から山形へ出張に行かなければならなくなった。
私たちは、少し早めに集合できれば申し分ないと話をしながら、かといって急に時間を早めるなど仕切ってくれている子に悪いと感じたので、結局自分たちは少し早めに新宿に行っておくことだけ伝えて、2人でぶらつくもいいし、先に一杯呑むのも良いし、なんなら早く来れる人から会おうとか、まぁ適当にやろうと思ったのだ。
「うん、とくに何も付加せずに“17時半には新宿にいる”とだけ伝えたよ。」と補足した。
すると彼女は「素晴らしい」と言った。
「17時半までぶらぶらしてるとか、お茶してるとか、そんなこと付け加えたら変な気遣いされて集合時間が遅くなるとうまくいかないと思ったから」
「それがいい、素晴らしい」と彼女はまた感嘆した。
私は内心その返事がうれしくて、キッチンで林檎をかじりながらにわかに微笑った。
ー
お湯が湧いたところで一旦火を止めて、冷蔵庫のマスカットをカットし青林檎の皮を向いて皿にもる。
お湯を再び沸騰させてポットに移し、豆をセットして一滴ずつ丁寧にドリップする(この瞬間の贅沢な気持ちはどうにも表現がむずかしい)
お米も吹き出したので弱火にしてタイマーをスタートする。
ぐつぐつ、プスプス、コポコポ、かちゃん、
とんとん、シャリシャリ、そっ、と。
今は朝で、天気は晴れで、外は静かだ。こうして私がキッチンにいて、もうひとりが後ろのリビングで、
それぞれがもつ自分のことに向かっている。
ドリップを終えようとした時に、ふいに同居人がつぶやいた。
「だれかがキッチンでそうして何かしていて、それで自分がこうしているのが、いいかんじ」
そうなの。その通りなの。私もそう思っていたのだよ、今まさにね。
「ほんとだね」
私は心をこめて返事をした。ドリップし終えたコーヒーをステアしながら微笑った。
*
あとがき
本当に起きた今朝の出来事。この二つの会話のおかげで、朝の調子をぐっと支えられた気がする。
(だって同居人が出かけたあとも、お昼ご飯のオムライスを丁寧においしく作れたから。)
言葉にした瞬間から伝わりきらない表現が存在する。
ある意味では、今朝みたいな会話に存在しえるシンパシーは言葉の反対の面であり
それは裏でも表でもなく、ただ対面しえない対の存在なのかなぁと思いました。
なんつて : p
tone
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