「今日思うことを、明日も思えるか」と考えるときがある。
考えること常日頃そしてそのための記録。

2011年12月6日火曜日

私が家に帰ると母は異様におちゃらける。
ぎゃあぎゃあと大声で騒いだり調子に乗って父を叩いたりして、私はそんなの嬉しくない。
母さんの愛情表現。

私が家に帰ると父は「ゆっくりしなー」と言いそれとなく別の部屋へ行くか 眠る。
話しかけても最終的には「ゆかはなんでもやるからなぁ、ゆかはいつも活発で悩んだりしないからな、ゆかは…」
私の話の芯に耳を傾けることなんてなくて、私はそんなの嬉しくない。
父さんの愛情表現。

私が現れないほうが2人にとってありのままの空間が作れていたのかもしれない。
そんな気配がしてどこか申し訳なくなって、母さんと一緒におちゃらける。父さんには「まあねー」と強がる。そして空虚さを土産にくるんで立ち去る。
いつものこと。私の愛情表現。

一人でバイクに乗ってるときは、まるで別世界だ。
そこは誰にも邪魔されない誰の邪魔もしない私だけの空間で
そこにじっとしていると心が整う。
止まっているバイクに仰向けに寝っ転がって一服する。
最高の居心地だ。じっとそこにいてくいれる。何も言わないし何も訊かない。

「側にいたい」と言った人がいた。いてほしくなかった。
「いなよ」という人がいた。いたかった。
「いたいの?いたくないの?いてほしいけど」答えが出せなかった。
「いても良いけどいたくないんならいなくていいよ」いたいわけねーです。
「いる?」やってる?的なそのノリはどうなのよ。

バイクに乗りながら、頭の中にある「人間」という札がついた部屋の中で、
「カコ」という小さな箱たちがカタカタ鳴った。
居場所って突き詰めれば普遍的なものかと思ってた。
ある意味バイクは近いのかな。普遍的なのは自分だ。

家族の話に戻る。
それでもこの家族はカケガエノナイ、ナニカダ。
その家族を今、私は自分の人生とカケガエて道を選んでいる。
いなくなるその日まで、一粒残さず愛情注ごう。

tone

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